私を救う光
この1ヶ月くらい、
掴みどころのない「自分の心」を
探しながら過ごしていた。
どうしてすぐに自分の心から、気持ちから
意識が離れてしまうのか?
どうしてすぐに自分の心の感覚が
消えてしまうのか・・・
意識を何度向けても消えてしまう、
自分自身の心を探し続ける日々。
転機となったのはちょうど
先日の満月の2日前。
突然気付いてしまった、
「あ、私、死にたい。」って。
死にたい気持ちと意識が繋がった時
そこに確かに私の心がある、
という感覚があって。
私はずっと、
その気持ちと心から逃げていたんだ、
と思った。
多分、ここまでブログに詳細に向き合ってきた過程を書くのは初めてなんじゃないかな。
これを書くのにも勇気が必要だけど、今日は自分のために、心を込めて書こうと思う。
私の記憶では中学生の頃。
家庭崩壊が本格的にはじまり、
母親が鬱になり服薬を始めた頃から
家に帰ると言われもない罵声を浴びる日々。
ある時、明日は土曜日だから
いつもの幼馴染の家に遊びに行くね。と言うと、
「あんたはイイわよね。週末のんきに遊んでいられて。あんたが遊びに行くんだから、私も好きにさせてもらうわ。来週の月曜日から泊まりで東京に行ってくるから。」
と言い、そのうち母親は
東京にあるオカルト団体に心酔し、
熱心に通うように。
元々キャバクラ通いで深夜2時3時まで
帰ってこない父親。
両親が家に帰ってこなくなり、
学校に部活に委員会に
受験のための塾通いもはじめていた私は、
帰ったら小学生の弟と自分のために
延々と同じ3種類のレトルトの中から
毎日一つを選び、
レンジでご飯とレトルトをチンして食べて
皿洗いをする日々。
夜になり布団に潜り込むと、
心が真っ暗闇の中に落ちていきそうで
どうしてこんなに怖いのか、
どうしてこんなに涙が出るのか、
お願い、早く帰ってきて。と願いながら
コントロールのきかない情緒不安に戸惑った。
そんな中、いつも目を瞑ると
急に真っ暗闇の視界の奥から、
パッと
針くらいの金色の光が見え、
それは一瞬でまぶたの裏いっぱいまで広がり
意識を失うように眠りにつく。
そんな日々を過ごした。
今なら分かるけど、きっとあれは
暗闇のような状況の中で唯一、
私を照らしてくれる
私自身の光だった。
その頃から私の内側で、
言葉には出来ない感覚が芽生えていた。
ある日、その感覚は
「死にたい」という言葉に変わった。
高校に入って本格的に鬱で動けなくなり、
無理にでも学校に向かい教室に入ろうとすると
突然人が怖くなり、過呼吸を起こすようになった。
通っていた心療内科で貰った薬を大量に服用し、
オーバードーズを繰り返すことでしか
「死にたい気持ち」から逃れられない。
今思えばそれ自体が自殺行為なのに、
そうすることでしか
自分の心を守ろうとすることが出来なかった、
過去・・・
本当に長い間、死にたい気持ちと向き合ってきた。
20代半ばになり、
本気でなんとかしなければと覚悟して、
そんな私が見つけたのは、
死にたい時ほど
かつて受け止めきれず、
抑圧してしまった
“悲しい気持ちがある”
ということだった。
それに気付いてから、死にたくなる時は
心の奥にある受け止めきれなかった
悲しい気持ちが出てきている時、だと捉えて
向き合い続ける日々を過ごした。
そうするようになって実際、
私の頭の全てを支配していた「死にたい」は
私の中からどんどん消えていった。
あ、この方法でなら
いつか死にたいと思わなくなる
そんな光が差すような日々が、
私の人生にも訪れるかもしれない・・と
いけるかもしれない、
と思った。
でも、この間の満月の前に出てきた気持ちは
直球で、背中を突き刺すほどの痛みを伴う
「死にたさ」だった。
死にたい気持ちで胸が突き刺さる。
悲しさすら、微塵も感じない。
あぁ、まいったな、と思った。
あぁ、私、こんなに死にたかったのか。と。
そして、ずっとその心を隠していたのかと。
沈み続けて、
はたと気付いたことがあった。
それは、
死にたいと思う私を、
私はずっと責めていた、ということ。
最近は、たとえ死にたくなっても
「あ、また悲しい気持ちが出てきたかな」
と受け止められるようになっていた。
だけど、
密かに今も、
死にたいと思っている自分の心を
激しく否定していたこと。
「死にたいなんて言ってはいけない」
「それは常識的にタブーだから」
「死にたいなんて言った怒られる」
「ほら、そんなこと言うからまた怒られた。だから私はダメなんだって。」
数々の言葉で自分を否定してきたこと。
この気持ちが無くならないなら
もう、誰にも言わずにひっそり死のう。
とずっと思ってた20代。
そう思うことでしか生きられないのに
そう思っていることを認めてしまったら
もう本当に死んでしまう気がして。
少なくとも自ら命を投げ出さなくても
もう、この突き刺すような胸の痛みだけで死んでしまいそうだった。
私に必要なことは、
「死にたい私」も含めて
ありのままの今の私なのだと
ただ、感じて、
丸ごと受け入れることだった。
それに気づいたら、
死にたい気持ちの奥で、小さく囁く
私の声がぽっと聞こえた。
「家族の愛が欲しい」
と。
一番私が、見るのを恐れた気持ち。
気付いた瞬間、身体がゾクゾクと
恐怖で身震いした。
「愛」という名のそれに
私はずっと恐怖を味わってきた。
私が愛だと教えられたものは、
大抵、暴力や支配だった。
それでも、だから、夢見て、
子供の頃の私は思ったんだと思う。
それが得られたら、幸せになれるのに、と。
でも、そこまできて、
ふと「?」が頭に浮かんだ。
そもそも、
家族の愛ってなんだろう?と、、、
知る由もないと思った一方で、
実際それは、一人ひとりが幸せだからこそ溢れ、
誰かと通うものなのではないのか?と。
「愛」という感覚は、
自分を愛しているからこそ、受け取れるもの。
それは、家族に限ったことではなく、
「愛」という感覚の全てがそうなんじゃないか、
って。
私が、私の内側にある愛と繋がらなければ
結局、
「愛」という感覚は、誰からも
受け取れないのではないか・・と。
!!!
そうか、結局、私は
私の中にある“愛”を
ずっと、求めていたんだ。
色んな出来事を機に、
自己否定をしたことで
繋がれなくなってしまった、
私の中にはじめからあった、愛。
そう、気付いた瞬間、
脳内がパーっと明るくなったような気がした。
自分の内側に光が降り注ぎ、
ハートから噴水のように溢れ
真っ白な光で包まれる。
あぁ、そうだ。
この光はいつも、私がピンチの時に
私を包んでくれた光だ。
そうか、この光も
私だったのか、と。
その夜、夢を見た。
それはいつものように、
話を聞こうとしない親に必死に叫んでいる夢だった。
私がどんなに声を上げても取り合わず、
無視を決め込む両親の姿。
ついには私は本当に声をあげ、
自分自身の声にハッと目を覚ます。
こういう日々を何年も、何年も何年も
私は繰り返してきて、今回、初めて気付いた。
「あの時の私は、正しかった」のだと。
ずっと、責めていた、否定していた、
自分のことを。
自分の想い、心を。
全部間違っているから
取り合ってもらえない、
聞いてもらえない
無視されるのだと
思っていた。
私が正しくないから
間違っているから、
2人とも家から出て行ってしまうのだと。
そうやって、
私の感覚も、考えも、この心さえも
全部、ぜんぶ、否定してしまうこと。
そのことこそが、
自分の心を蝕んでいたのだ、
ということ。
ずっと、自分でも不思議だった
自分をどこまでも否定する心の癖は、
こういうことだったのか、と、、、
自分が好きなものを見つけては
「それが好きなことは絶対許されない」
と思ってしまう。
本当に欲しかったものを手に入れるたび、
「いけなかったんだ」と
猛烈に自分を責め、恐怖で苛まれた。
自分の意思と反して
幸福を感じるたびに出てくるその感覚が
私にとってはとてつもない恐怖で
その感覚を味合わなくて良いように
幸せにならないように
心が向かってしまうこと。
結局のところ私の、
胸を突き刺すような強い痛みを伴う死にたさは
激しく自分の心を否定し続けた結果
起きていたことなのではないか、と。
でもね、今も、これを書いていると
内側から光が溢れてくるのを感じるんだ。
私を救う、光が。
「私は正しい。いつだって正しかった。」
私が思うこと。
望むこと。
感じたこと。
考えたこと。
その全てが、私にとっては全て、
正しい、という真実。
そう、思えば思うほど、
軽く、明るくなっていく。
私には、決定的にはっきりと、
そう、思い切ることが
一番に必要なことだったのではないか。
どこまでも、私の全てを
肯定することが。
背中から突き刺すような激しい痛みは
少しずつ癒えてきた。
だけど、今もまだ、
朝起きるたびに死にたくなる。
死にたすぎて胸が痛い。悲しい。
私は一体、どれほど自分の心を
抑圧してきてしまったんだろう・・・。
どれほど、傷付いてきたんだろう、と・・・
そう思うと足がすくむ。
まだまだ自分が知らなかった自分の心に
出逢うのだろう。
それはどちらかというと、
見たくない気持ちかもしれない。
今回みたいにまた、
パンドラの箱を開けることになるのかも・・・
でも、一つ言えるのは、
私はパンドラの箱を開いたその先で
確かに、自分自身の光にもう一度
出逢えたこと。
「本当の自分を見つけること」
【 自分自身の全てを肯定すること 】
それこそが、本当の救いであり
癒しになるのだと。
今も感じる。
私から、こんなに愛されていたなんて
知らなかった、と。
死にたいなら、
死にたいままで
そのままで良いから
死にたい気持ちのまま、
この心と共に、
生きていこうと思った。
ここから先は、
死にたい私の心のままで、
生きられる道を
私は生きる。
どうか、見守っていてね、
本当の私。
いつか必ずそっちに行くから。
導いてね、私自身を。
そう思うと、こう浮かんだ。
“よくここまで来たね。
ありがとう”
今は、
死にたいと思うことさえ
許されなかった
この心と共に生きたいと、
強く、願う。
(写真は急に思い出しデータを掘り起こしてきたもの。2017年、私の誕生日の朝に撮影した茨城の大洗磯前神社での日の出の瞬間。)
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