世界のすべてが優しい
私、今、もしかすると
これまでのすべてが、
この世界の優しさを、
教えてくれていたのかもしれないと思ってる。
幼少の頃からの虐待や、
自分の精神疾患や難病、
その果てに切った家族との繋がり。
この一連の出来事が、
これまでの私の人生のすべてにおいて
一番辛い出来事だった。
だけど、何故か今その果てで
すべてが許されていると感じてる。
許されている、って
私は感じたことがなかった感覚だった。
両親から受けた暴力の記憶に
人生のほとんどを苛まれ、病み、
いつか、仲の良い家族になりたいという
人生で一番だった願いも
家族との繋がりを絶つことで諦めてきた。
そんな私は、どうしようもなく
自分を責めた。
もともと、いわれのないことで
否定されてきたから、
ごく自然と、すべての出来事が起こるのは
私のせいなんだと思って、
その思いで自分自身を蝕んできた。
だけど、どうしてだろう。
今、私が感じているのはそういうのじゃない。
世界は、
体験することのすべてを許している。
って感じている。
この世界では、何を体験しても良い。
それは、私が体験したような、
自分が暴力を受けて病む体験でもいいし
親のように、
病んで暴力を振るう体験でも良かった。
それを、体験するのは確かに
とてつもなく辛いことだった。お互いに。
だけど、そのすべてが、
はじめから、許されていた。
何を体験しても良かった。
私の中にあった沢山の自己否定も、
全部それで良かったと、許されている。
ここまできて、
今、私は、私の内側に
溢れんばかりの優しさを
感じている。
そう、この優しさは、私だった。。。
感じるのは、ただすべてが
それでよかった。ということ。
これまでの苦しみの全てが、
今、私が感じている
世界の優しさを見つけるために
その世界の優しさは、
本当は私自身なのだと気付かせるために
きっと私の魂が導いてくれたことだった。
だから、
世界のすべてにありがとう、と思う。
この世界がはじめから、
すべてを許してくれていたから
今までの、すべての体験が出来たこと。
それによって私は、
この世界のすべてから許されて
今ここに存在していて
それを、余すことなく受け取っている。
溢れんばかりの優しさを。
とても、穏やかで、しあわせな
流れを感じてる。自分の中に。
あぁ、すべてがこれで、
良かったんだなぁ。
何も、悪いことはなかった。
誰も、悪くはなかった。
私にとっては、やっぱり
家族との学びが一番大きな出来事だった。
だけど、私の家族もきっと本当は
今、私が感じている、
この世界の優しさに気付くために学んでいるのだろう。
それは、いつになるのか分からない。
けど、いつか、今、
私が感じている優しさが届けばいいなと思う。
一番、強烈だった
自分が虐待を受ける体験は、
実は、真逆の、
“世界の優しさへと導いてくれていた。”
この世界の本質は優しさでしかないこと
すべてが許され、守られ、
溢れんばかりの優しさを向けられていること。
そして、その世界とは実は私で、
それが、私の本質だったこと。
今、初めてそれに触れていて、
泣いている。
こんな時が私に訪れるなんて
思っていなかったこと。
もう、どうしようもないほど
すべてへの感謝が溢れること。
これまでの体験をさせてくれた
家族にもそうだし
その学びと向き合う過程で助けてくれてきた
多くの人に対してもそうだし
何より、そんなことを体験させてくれた
“その体験を許してくれた”
この世界に対しての感謝が溢れてくる。
私も、あなたも、
この世界の一部だから
この世界に感謝するとき
すべてが伝わっているように感じる。
なんと、しあわせな存在だったのでしょう。
世界から、今、あまねく幸せを
ただ静かに、とてつもなく穏やかに
受け取っている。
ただ、私たちはその流れの中に
いること。
ただ、それが、私の中を流れているだけ。
すべての人が本当に、
そのままでいいのだということ。
それは物凄く、何よりもの、
救いな気がする。特に、私にとっては。
私、前に気づいたことがある。
私がこれからやっていくことは
「救いの愛」だ、と。
それはいつもの宇宙の真理のメンターの
セミナーの帰りに一人で歩いている時に降ってきた。
そのこと、次に会った時に
何気なく口にした。
そしたら急に、先生が目を丸く大きくして
「せ〜かい!!!それが、あなたのこの人生の役割であり、テーマだよ」
と言った。
びっくりした。
ひょっこり、とんでもないことに気付いてしまったと。
それは、気付いたというよりもう、”降ってきた”
と言った方が正しい。
だけど、私は自分の生活もままならないほど
苦しんでいて、実際、本当にそんなところに
繋がれるんだろうかと自信がなかった。
もう、いきなり自信をなくした。
突然降ってきた「救いの愛」というワードは
まるでイエスキリストかのようで・笑
それは、とても私が背負いきれない
大きなことのように思ってしまったから。
だけど、今感じているのはそうじゃない。
今、私の中を流れている
このすべてを許している世界の優しさが、
ただ、本当の私だったこと。
そして、私はこの私で、これからの人生
この世界に在り続けること。
その状態で私がこの世界に在ることが
この世界への「救いの愛」
私は、何も特別な凄い人になるのではなく
ただ、私のままでいればいい。
そういう愛を何よりも、私自身に向け続けること。
実は、何も、特別なことじゃなかった。
今まで、気合いを入れなきゃ
生きてこれなかった。
「もう、自分と向き合うことになんか、疲れちゃった。
自分と向き合うって、こんなに辛いことだったんだね。
私、無我夢中だったから気付かなかったよ。」
と涙をこぼしながら、昨日の真夜中、彼に言った。
すると、硬くなってる私の背中をさすりながら
「るなちゃんのように、自分と向き合って生きている人って、そうそういないと思うよ。
多くの人は気付きとか、そんなこと考えずに、何となく生きているんじゃない?
もうさ、るなちゃんは生きているだけでいいんだって。
それだけで200点満点だって💮」
と、優しい言葉が返ってきた。
何だかその言葉にも、もう、
許されたような気がした。
“これまで、がんばったね”
もう一人の自分がそっと囁いてるみたいだった。
この世界の溢れんばかりの優しさへ
その流れの中にただ、存在している私に
すべての恵みに、ありがとう。
私は今、ただ、
静かなしあわせを感じています。
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