次のステージへ。2023年激変記録

この夏、我が家の生活は大きく激変した。

長い間わだかまりがあった彼と
この約10年間あったお互いに対する
わだかまりを完全にクリアしたのが
2月の半ば。(これは2人で確認済み)

そこから付き合いたての頃のような
関係性にすっかり戻ったことで
今まで1人で頑張るべきなのだと思い込み
2人でいながら1人で生きてきた私達だけど
これからはちゃんと
2人で生きる幸せをやっていこうと
話し合って決意。

そんな変化の過程で最近では
お互いの関係性も、
必要性のある時は
「パートナー」と説明している。
(そうすると、籍を入れてないので必要な場合
夫や妻という名目で色んな手続きが結構通るのだ。
世の中もどんどん変化していて本当に有り難い♡)

これまでの生活では、
とにかく時間の余裕がなく
2人で過ごす時間も
大事なことを話す時間も作れず
お金も回らない状況で、
それぞれの負荷があまりにも大きすぎること
私は体調を戻す余裕がつくれないことなど
改善点が明白だった。

私自身、今後も家庭を中心とした
生活を送ることを強く望んでいること
その中で体調面も自分が納得するまで
クリアしたいことを
彼とはずっと話していて、

彼も私の話を聞きながら
自分がやりたいことは
「子供たち一人一人の心に寄り添いながらサポートすること」
その一点だけがこの10年ずっと変わらないけれど

結局のところ
形としてのやり方があっていなかった。
自分はマルチプレイヤータイプではないこと
これ!と決めたら基本その一つしかできず
自由業で自由に仕事をクリエイトすることよりも
やるべきことが明白な会社員の方がかえって合っているのではないだろうかと気が付いた、と言われた。

その過程で彼も大きく体調を崩し
今年の前半はほとんど働けない状況が続き
彼を看病しながら過ごす生活の中で
横で様々なものと葛藤している彼を見ていた時

あぁ、彼は信頼されたかったんだな
と思う瞬間があった。

思えば、私は自分が働けない不安から
(そして無理をしてでも働こうとしていた過去と違い、もうそれを望んでいない自分の本心と向き合いながら)
その不安を彼に勝手にぶつけてた。

でも、私に私の人生があり
彼には彼の人生がある。

私は私の想いに責任を持って
この望みを貫き通す覚悟を決めていたし
あぁ、彼が別にこのまま働けなくても
この先どんな仕事を選択しても
すべてを信頼しよう。
それこそ、私の彼への愛なんだ。
と気が付いた。

そして彼にそれを伝えたら、
嬉しそうに「ありがとう」とはにかんで
受け取ってくれた。

その2日後くらいだろうか、
彼がポンとネットで見つけた求人に惹かれ、
そのままあれよあれよと
その企業に就職することに。

最初は見習いで、
給与面ではアルバイトと同じ待遇だけど
来春の事業拡大時に正社員として迎えたい。
というお話で転職が決まった。

今は臨時職員として社員と同じ時間で働き
仕事を覚えながら、彼が望む
「子供の1人1人のことを一番に考え寄り添うことこそが、会社の利益に繋がる」
という内容を理念として掲げる企業への
就職という道へ歩むことになった。

9月からの採用だったけど
話がトントンで進んだので8月の半から
既に研修がはじまり、
同時にこれまで彼が続けた家庭教師事業は
多くの感謝の言葉と贈り物を受け取り
清々しく幕を引いた。

かつての生徒が今は就職して
ブランドの名刺入れを贈ってくれ、
私が贈ったお守りと一緒に
これまで着なかった背広を来て
仕事に行く姿を見ていると感動で胸がいっぱいになる。
過去は確かに、今日の光の日々に続いていると感じるから。

彼の新しい就職先は、元々
正式な面接では落とされたところだった。
だけど、当初取る予定だった
部署の部長さんが彼をえらく気に入ってくれ
会社としてはダメだったけど
どうしても雇いたいから、別ルートでなんとかする。と言ってくれて
「10年1人で事業を続けてきたところ」
を高く買ってくださり、
営業や宣伝はどうしていたか??など
面接時も1時間以上話し込んで盛り上がっていた。
(zoom面接だったので私も同じ家にいて会話を聞いていた。笑)


この生活激変に至るまで
私が向き合い続けてきたのは
彼との関係を拗らせている元にある
家族との学びだった。

過去にもう何度も書いているけれど
結局私の望みはただ一つ 
「愛されること」だった。

頭では彼からも周りの人から
愛されているんだろうなと分かっても
心でそう感じることが出来ないんだ
と気が付いてからは
長い間ずっと自分の心の闇と向き合い続け

ひたすら過去の傷と痛みを
昇華することをある意味、
狂気的なまでに執着して
取り組んできた。

そうした中で分かったのは
“自分の傷は自分で癒せる”ということ。

私が私のお母さんになって
心の中にいた子供の自分の痛みを理解して
寄り添い愛し続けること

ダメだと思ってきた自分の全てを許し
受け入れ愛し続けること

それが現実を幸せへと変えていく
扉を開く鍵となるということ。

ダメな自分を変えるために
何かをするのではなく
ダメな自分を愛することこそ
私の幸せだったということ。

現実は、必ず反転する日が来るということ。

でも、過去の私がそうだったように
多くの人は外を見て、
誰かがこう言ったから正しい
誰かが言うこれこそが幸せに違いないと

そもそも自分の心が望んでいる
幸せにさえ気付いていない。

我が家が崩壊した大きな反省点として
うちの両親は自分がどう思うかよりも
いつも外の人の意見ばかり取り入れて
対立していた。

自分たちは、ではなく
誰々さんがこう言ったからこうしなくちゃならない。

そういう考え方をベースにして
(要は他人軸なんだけど)
我が家はめちゃくちゃになっていった。

もし、純粋に望んでいた幸せに向かっていけたら
どんなに良かっただろうと思う。
うちが望んだ幸せは、間違いなく
世間一般的なものではないけれど
それこそが家族でやりたかったことなのだと
今は深いところで感じている。

家族の学びを通して気がついた、

私は幸せな家庭を築きたい
という願いと
家族と共に学びたかった、
真理を探究し続けること
本当は両親から教わりたかった
宇宙の智慧が沢山あり
その片鱗を一緒にいる時に目の当たりにし
今になって今の私を助けてくれている。
それを教えてもらうことは
もう、出来ないけれど
私1人でもそれを探して学び
成長していこうと心に決めた。

これがこれから私のやりたいことであり
私の魂にとってのミッションなのだ。


今年の夏は札幌から5年半ぶりの再会で
友達が遊びにきてくれたり
私自身も5年半ぶりに幼馴染に頼んで
家を貸してもらい地元に帰省して、
改めて自分の原点を確かめてきた。


もしもここで、
今の私で生きられたら…
そう淡く、夢見てしまうほど
私の地元は神々しいほど
エネルギーを変えて
御神気に満ちた土地へと変化していた。


私が札幌で生まれ、
20年以上この土地で生きた日々は
確かに意味があったのだと感じられた。

(北海道での旅があまりに素晴らしかったので
その気になったらまた別記事にしようかな。)


久々に再会した友人達には
この10年に渡る状況をずっと
聞いてもらっていたので
私が報告するとそれぞれにみんな
拍手して「本当に良かったね!!」
と言ってくれた。
特に毎年うちに泊まりにきて
一番私と彼の姿を間近で見てきた親友には
「2人はやっと恋人らしくなったね」
とお墨付きをもらった。笑

色々あったけどこの10年の彼との学びは
正直、私にとっては
家族との学びをクリアするために
彼が協力してくれていた、
という方が正しい。
(でも、彼から見たらまた違う物語があるはずだ)

だから純粋に彼と生きていくのは
今ここからなんだと思う。

だけど、私にはこの時間が
これから生きていくために
本当に必要な時間だった。

もうこれで、生きていける

今はそう思えているから
この学びは大成功♡

何より、今は長い間願った
「愛されている」を感じられている。

それは彼からだけではなく
誰と会ってもその人の魂から
愛のエネルギーが流れているのを
感じられるようになった。

札幌に帰る前後で、
彼宛にうちの母親から荷物が
届いたりしてたけど
(それも、この真夏の暑い日に
壊れ物指定で生野菜を送ってくるという🤣)
一緒に同封された意味不明な手紙からも
魂の愛が流れてくるのが分かって
ジーンとした。

でもちゃんと見ないとさ、
やってることは相変わらず
キチガイなんだけどねw

魂の愛と現実にはギャップがあるから
どちらも理解する必要があるな〜
とこれまた勉強になったけど
正直会いたかったから嬉しかったよ。
(でも、次、彼宛に荷物が届いたら
その時は受取拒否します。爆)

今年の夏は特別暑く、
今年の前半ずっと看病していた彼が
元気になった姿を見たら何だか
ホッとして気が抜けたのか
この夏はほとんど体調を崩して
身動き取れない時間を過ごすこととなりました。

北海道から帰りすぐにコロナになり
まだ調子が悪いのですが
こんなに変化しているんだからしょうがない🤣

私はこんな私を選んで
愛し続けるために生まれてきた。
どんなに身体が弱くて繊細でも
そんな自分を一番に愛しているよ♡

そして、自分自身にありがとう。
心の痛みと向き合い、
愛に変える強さを獲得出来たこと。

昔は一番嫌いだった自分が、
今では一番大好きな存在です。



ありがとう、北海道😊
またね!!