かけがえのない幻
“見えるものの全てが幻で
見えないものこそが真実なのではないか?”
という考えが、
最近何度も頭をかすめている・・・
浮かんでいるのは
「前提を変えよ」っていう言葉。
多分、私の中にある当たり前の前提が、
大きく変わる時なんだと思う。
私は”愛”を「失った」と思っていた。
そういう自分の気持ちに
素直になるのが怖かった。
私にとってのその愛とは、
「形」を指した言葉だった。
私は、自分の実の家族と一切の
交流が無くなってしまったことで、
自分が一番得たいと思っていた
「愛」を得る機会を、完全に
失ってしまったと思っていた。
一緒に一つ屋根の下で過ごすごとや
何気ない会話をすること
どうでもよいことで笑い合うこと
私が長年求めていたのは、
それらを安心して出来る環境。
そして何より家族の笑顔を見ることだった。
だけどそういった「形」は
関わりが一切なくなることで
(そうせざる終えない状況になることで)
望むのも厳しいものになってしまった。
でも、
そもそも自分に立ち返って考えてみると
常に家庭の中に問題があったことで
その問題に巻き込まれ、
対処に追われているうちに
そもそも大事な「自分」を
自ら無くしてしまっていた。
いつも、何故か、
自分が一番見えない存在だった。
私にとっての私は完全に
「 」(消えてしまった存在)だった。
ここにいるのに、
見ようとしても自分からは
見えない。
透明人間のような、
いるのにいない存在。
そして、それに、
物凄く傷付いていた。
でも、「どうしても愛されたい」
と強く求める気持ちがあって、
ちゃんと、自分がどんな愛を求めているのか
何度も見ていくと、
本質的には、ただ、
「自分から愛されたい」
だけな気がして・・・。
この間の新月の日には
そんな気持ちで一人ぐるぐるして
最終的には彼に話を聞いてもらい、
自分の気持ちを言葉にするたびに
涙が溢れた。
でも、ぐるぐるな感情をひと通り
言葉にして出し切ったら、突然、
私にとって私が「 」(消えた存在)
だったものが、
“こんなにも誰かを「愛している」
「その気持ちこそが」
「私」なんだよ”
と脳裏に浮かんだきた。
すると、脳内で「 」(消えた存在)だった私が
いるべきところにピターッとハマり、
「愛してる私」こそが「私」
だと気付いた!!!
いつも
「 」(消えてしまった自分)が、
悲しんでいたり、苦しんでいたり、
楽しんでいたり、愛していたり、
するのだと思ってきたけど、
本当は、
「愛している」(愛そのものの私)が、
<現象を見て>
悲しんでいたり、苦しんでいたり、
楽しんでいたり、喜んでいたり、
していただけだった。
全ての気持ちは
<愛から生まれているもの>
だから、愛はすでに
私の中にあって、「私そのもの」なのだと。
自分をずっと、愛そう愛そうとしてきたけど
愛そうもなにも
はじめから私はずっと
そんな私も含めてずっと
「愛していた」のだと思う。
だからなんだな。
どんな自分も、
様々な自分の気持ちを見つけるたびに
「丸ごと受け入れよう」と覚悟して決めて、
(実はその想い自体がすでに、
“本当の自分の想い”を現しているもので)
決めれば決めるほど
新しい自分になるのではなく
「元の自分に戻っていく」だけ。
まるで、バラバラになってしまった自分の
ピースを見つけてははめて、
一つの大きな自画像を
描いていくような。
逆再生で自分を見ていくような、
そんな感覚になる。
どうしてこんなに
バラバラになってしまったかって
それは「外の」自分じゃない価値観を
受け入れてしまったから。
だから、それを見つけては
全部捨てて、捨てて、捨て切った先に
残るのは、本当の自分だけ
なんだと思う。
“愛しているよ。
はじめからずっと、永遠に
愛しているよ。”
そんな自分を忘れて
また思い出すための旅。
確かに私は大切な「家族の形」を
失ってしまったのかもしれない。
それは、変えられない事実だ。
その事実を受け入れるのにも
覚悟が必要だった。
だけど、私が本当に欲しかったもの
触れたかったものが、
家族の中に通い合い、
流れている「愛」だったのなら、
実は、それは今も変わりなく
流れているんじゃないか?
と急に思えるようになってきた。
(諦めすぎて、そんなことを考えるつもりも
なかったのだけど)
たまたま、私からは見えているけれど
他の家族からは多分、見えていないみたい。
そういえばこの感覚、
子供の頃の視点に近いな。
見るところを変えたら
全く違うものが見えてくる。
大切なものはずっと見えない。
形で表現することは出来ても。
逆に、たとえ形にならなくとも
「ある」という真実もまた、変わらない・・
とても、不思議な感覚になってくる。
だから、私は本当に
家族から、ただ、
大切なことを教えてもらった
だけなのかもしれない。
“見えているものが幻で
見えないものこそが真実”
もしも今、
「この世界の全てが、あなたには関係ないんだよ」
と神様から言われたら、
私は途端に嬉しくて嬉しくて、「わーい!」と両手を上げて、幸せで仕方がなくなってしまうと思う。
今、私の中に感じられる「愛」だけが
真実なら、もう、それだけで良い。
想像するだけで、それは私には吉報。
だって私が生きてきた「形」は
どうしたって変えられないし、
そんなに良いものじゃないから。笑
そして、この感覚こそが、
本当の私なんじゃないかと
思いはじめている。
形は実は、
そんなに重要じゃないからこそ
せっかく生まれてきたんだから
「好きなように自由に生きようよ!」
ということなのかもしれない。
そして、
今、生きているこの世界は
かけがえのない幻だからこそ、
こんなにも「大切にしたい」と
思えるのかもしれない。
(ある年の3月11日の空⭐︎)
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