愛すべき私

今日は、山羊座土星が水瓶座に移動するという
この12月に起こる一つの時代の節目にあたる日。

そんな今日、

私は自分に対して厳しすぎたのかもしれないな、と思って涙溢れた時、ふと、気づいたの。

もしかすると私は、
無理に私を受け入れようとするよりも

そもそも、私の内側にはすでに、
私の全てを許し、受け入れ、愛している私が
存在していることを認め、

その私を本当の私と認め、
引き出してしまえば良いのではないか、と・・!


もしかするとこれこそが、
宇宙の真理、なのでは、と、、!


そう思った瞬間、不意にいろんなことが見えてきた。

私は、親から受けた暴力を、
許し続けていたこと。

それは、真理を学んで、
恨むのはいけないと思ったからで
結局、恨み続けても
自分自身を呪い続けるからだと気付いたから。


だけど私の意識の中では、
だから、

「暴力を受け続けることを許す」

みたいなニュアンスまで含まれてしまっていて

親がやってきたこと、
今も私に対してやっていることは、

明らかに私自身の意識の中で一度ちゃんと
「間違ったこと」だと理解して、

意識においても、実生活においても、
拒絶しないといけないことだったと思うのね。

だけど私の心は優しすぎて、
今でも暴力を受け入れ続けていなかったか?
ということ。

むしろ、傷ついて病気にまでなった自分を
「弱くていけない子だね」と否定し、
早く自立して、一人前の大人にならなければと、
責めて否定してどうしても許せなくて。

でも、
それ自体、親が私に望んだ生き方で。

結局、親が望む私になって
愛されてみたかったのだと、
延々とここをループ。


だけど私に必要だったのは
もしかすると、

今も傷付いている弱い自分
それで、病気にまでなってしまった弱い自分を
許そうとすることではなく

今も無意識のうちに
親の私に対する暴力を許し、
意識の中で「私への暴力はOKだよ!」
と許し続けていることに気付き(!)

親へのどうしようもない愛から、
間違ったことまで許してしまう
弱い自分を受け入れ、許すこと

なのでは?と。

つまり、許したいなら、
許すべき自分が違ったの!


私がするべきは
明らかに間違っているのに
拒絶すべきなのに、

愛が故に
親の暴力を認め、許してしまう自分だ。


そして今もなお、
自分自身は暴力を受けるに値する存在だと
意識の中で、この世界に対して、
自分への暴力をOKしてしまっている自分だ。



自己犠牲は、本当の愛ではないよ。


だけど、それをしてしまう
人のどうしようもない弱さ。

それは間違い無く、愛から生まれくるもの。。。

受け入れるべきは「その弱さ」
そして、そのだったんだね。。。

(T ^ T)


自分が、自分に対して
間違ったことを受け入れていると気付き
愛が故にそれを続けてしまう自分を許すこと。




私はこれから、認め続けようと思う。

私の中にはすでに、
私の全てを許し、受け入れ、愛し続けている
私が存在していることを。

それこそが、本当の私だと。

見るべき自分はそちらなのだと。