蘇る愛の記憶

前回のブログに書いた変化の翌日の出来事。


私はその日の朝、悪夢にうなされていた。

もう、私にとってはいつものことで、そんな時は大抵、夢の中で過去のある印象的な場面に戻っている。

そんな時はもう一度目を閉じて自分と向き合うのだけど、いつものように自分を労っていると、

突然目の前に両親が現れた。 
そして驚いたことに、2人揃って、ごめんごめんと、頭を下げてくる。

今までなら、一生懸命過去の自分に声をかけるだけで精一杯で、誰かが現れたり、何かが自動的に起こるようなことはなかった。

驚きながら、2人のごめんを聞いていると、
何故かやっと報われたような気がして、
涙が出た。

その瞬間、私はすっかり子供の頃の自分に戻っていた。

2人のごめんは、まるで2人の魂からの「ごめん」に聞こえて、2人の色んな絡まったままの複雑な、意識みたいなものまで伝わってきた。

すると、今度は横から大人になった私が現れた。

そして突然、私に声をかけてきた。

「大役を果たしたね」と。


その言葉を聞いた瞬間、
あぁ!!!と電流が走るように
何かに気が付いた。


そっか、私は、
ずっとこうして、両親と向き合っていたかったんだ、と。


子供の目から見ても危うかった二人。
どうにか気付かせてあげないと・・・。
それに気付かせてあげられるのは、今、この状況の中で、私しかいない。

そんな想いを、ギュッと握り締めたまま
ずっとここまで来たことに気付いたの。

だから、
いつも自分の心の中を覗くと、
本来いるべきはずの自分ではなく、
両親しかいなかったのだ、と。


「大役を果たしたね」という言葉を受け取ったら、
すっかり子供に戻っていた私は、
「私は、大役を果たしたんだー!!」と
一気に嬉しくなり、舞い上がった。

すると、両親もニコニコとした笑顔の姿に変わり
私の頭上にはくす玉まで現れて、
「おめでとう!!」と言わんばかりに
キラキラとした光の紙吹雪があたり一体を包み込んだ。


心が嬉しさでいっぱいに浸っていると、
微かな記憶が蘇った。


あぁ、これはもしかすると、
私がこの肉体に生まれてきて、
初めて感じた
「愛されている」という
感覚かもしれない、と思った。

それは優しい匂いのようなもの。

微かに、鼻の遠くの方で、何か優しい香りがする。

柔らかくて、まるで春の日差しのような、お花畑にいるような、そんな香り。

もしかすると、公園でもお散歩していたのかな?

微かに揺れているような感覚もある。
だけど、まだ目は見えていない。 


側には誰かがいて、それは多分、両親だ。
こちらを見て、優しい眼差しを向けているような気がする・・・

そんな世界の中で、
私は生まれて初めて
「愛されている」と感じたような・・・気がする。

何故なのか、
その記憶が蘇った瞬間、
あぁ、ちゃんと、愛されていたんだ。

と思っている自分がいたの。



私が包まれていたそのエネルギーは、
生まれたままの、
私自身の愛のエネルギーのようなもの
でもあった気がする。

あぁ、このエネルギー、懐かしいな
と思ったの。


結局のところ人生はこうやって、
私自身の愛にただ、気付いていく。

本当にそれだけの
物語なのかも。。。

きっと最期の時、持って帰ることが出来るのは
胸の中にある「愛」という感覚だけだから。
それが、最高のお土産となるように。



”家族”って多くの人が学びや課題としていて、
解決するためにはどうすれば良いのか?
これまで私なりに様々に学んでくる過程で、よく、

「だけど結局、誰しもが愛されて生まれてきたんだよね」

みたいな、そういうフレーズをよく聞いた。
そういう言葉を目にしたりしては、いつも心がえぐられる自分がいた。

愛されてきたとか、
そういう言葉はどうしても受け入れ難かった。
ならば何故?どうしてあんなことをしたの?
と理由を求め続けてしまうから。

そう思えない、自分の全てを否定されている。
そんな言葉のように感じてた。

だけど途中からは、
自分の痛みを見つけることこそ、ある意味チャンスだと分かってきて、敢えてそういうえぐられる感覚も利用することにした。


暴力を受けてきたことをゆるせても、
(ある意味、簡単なことでもあったので・・・)

もしかすると一生、私は、愛されていたとは感じられないし、思えないかもしれない。

と思い始めていた。

もし、それが私の答えなら、それでも良いと。



だけど、まさか、
思ってもみなかったところから
こんな出来事が起きた。

よく聞くような
“家族で本音を打ち明けあったら、分かり合えたの”

・・・みたいな、
そんな美しい物語は、私の人生には存在しない。


だけど、蘇ってきたのは、何にも汚されていない、純粋な愛の記憶だった・・・。



誰しもがきっとこうやって、
生まれてまだ間もない頃

どこかで最初に
「愛されている」と認知する、
そういう瞬間があるのだろうな。

きっと、そこからが人としての、
人生のはじまり。

それを知るからこそ
悲しい、苦しい、痛い、怖い。
そういう、
愛とは対極にあるような感覚も
知り得ていくのだろうな・・・

そう思うと本当に、
感じるもの、体験してきたことが、
『愛に変わった時』
全てがギフトになる。

不思議だね。。


そんな原初の記憶が蘇った後、どうなったかというと
私の心の中のあたたかさはより、増した。

太陽のようなポカポカとしたあたたかさから
まるで温泉の源泉のような、より熱の強いあたたかさに。



私たちは愛するでも愛されるでもなく、

初めから、
愛そのものであり
愛そのものを生きている。


もしかするとそれは、
こういうことをいうのかもしれないな・・・

なんて思う私なのでした。