心の棚おろしをする日々

去年の秋、自分の中に
どうしようもない「罪悪感」が
はびこっていることが気になって

罪悪感をテーマにした潜在意識・心理学の
オンライン講座を受講したあと、
結局のところそれは植え付けられたものであり
自分の過去に “何一つ悪いことは無かった”
と気が付いたことがきっかけで

人格分裂したような自分が
心の中から飛び出してくるようになった。

自分責めから中々抜け出せなくて
苦しんでいたものの、
同時に自分が悪いと思っていたからこそ
抑圧出来ていた心の状態が露呈して、
それは明らかに病んでいて
自分のことが分からない、
支離滅裂な状態に。。。

少しずつその状態を受け入れはじめ
同時に悪くなっていた身体の状態も
ゆっくり上を向いて来たところで、
タイミングよく、案内があった
新しい講座の内容が良さそうで
新年早々受講してみることに。


自分の心の状態が露呈して分かったのは、
10代半ば頃に精神を病んでから、その状態を
昇華出来ぬまま、強靭に理性を鍛え続け
結局ただ抑圧していただけだった、
ということだった。
(実は前にお世話になっていたカウンセラーさんにも、「るなちゃんは精神力が強かったんだね」と指摘されたことがある)

自分の内側から出てきた自分はこんな感じで、

・自分の人格が分裂しているように感じる
・自分の意思に反して自分を死に向かわせてしまう(その状態になった時に自分のコントロールを失いそうになる、表に出ると鬱状態のようになる)
・心の中でもう一人の自分が勝手に喋り続けていてうるさい(表に出ると躁っぽくなる)
・望んでいないのに支離滅裂なおかしなことを言ってしまう(自分が分からなくなる)

例えば、自分を死に向かわせる人格が
自分の通常の思考に重なるように出てくる。
(これを書いている思考の声と同時に
全く別のテンションの声が聞こえる感じ)

悪魔的なもう一人の自分がまるで
横に立っているように感じることがあって、
ハッキリとしたワードで追い詰めて
私を死に誘おうとしたり、

逆に、思考が飛びそうになって、
車が走る道路を見ただけで
急に頭がぼーっとして、ふら〜っと
道路に吸い込まれそうな感覚になったり。

その状態は結局、彼さんに
その日その日のことを話して
聞いてもらう中で、
ありのままを受け止めていくことで
だんだん落ち着いていった。

すると、15年近く常にあった
胸を刺すような痛みも同時に消えていった。

結局、
精神的におかしな状態を押し込めるために
自分で自分の心を抑圧しようとして
自分を刺していたんだな、と気が付いた。

飛び出してきた激しい状態も
それ自体は表面的なものに過ぎなくて

自分をそこまで追いつめた状況や
心の中に残っている、
意識の中に残ってしまっている根本を
手放す必要があるということに
講座で学びはじめてから気が付いた。

タイミング良く、そういう激しい複雑な
精神状態になってしまうメカニズムについて
学ぶことが出来て気が付いたのは

結局、自分の声だと思っていた声が
母親の声だった、ということだった。

私が自分のものだと思って
苦しんでいた思考も、声も、姿まで
母親だったのだ。

それが、完全に自分の中で
自分と同化して、自分に見えていた。

自分が支離滅裂で分からなくなる時は
あとになってみると、
「まるで母親みたいだったな」と
思うことが多々あった。  

自分が苦しんだことを何故か母親のように
言ってることに自覚した後は、
そんな自分がどうしても許せず抹消したくなった。
けど、そこを乗り越えないと
自分を永遠に刺し続けることになってしまう。

けれど講座で整理してみると、
そもそも、私が消したかった自分は
「私自身じゃなかった」ことに驚いた。

あまりにもショッキングなことがあると
人は、その時の感情を元に
そのショッキングな出来事や
関わった相手もろとも、その瞬間そのものを
全部自分自身の中に取り込んで、
自分自身と同化させてしまうらしい。

(起きた出来事と、関わった相手と、自分とを、切り離して捉えられない状態になってしまう、ということだよね)

私が長年精神的に苦しんできたことも、
結局突き詰めるとこればかり。


今回も、最初は頭が完全に何かに
持ってかれてしまっているというか、
ぼーっと麻痺してしまって
よく機能せず分からなかったけど

そうなってしまった瞬間の状態が
飛び出してきていたよう。

宗教やオカルトの思想を理由にした、
否定や強制、抑圧。
子供の頃聞かされ続けたそういうものに、
いつも頭がフリーズしてしまっていた。

抵抗したり、反抗したり、戦ったことも
数え切れない程あったけど伝わらず、
結局は飲み込むしかなかった。
私は確実に、そういう出来事に蝕まれていた。

だけど、精神がおかしくなっている
自分を外で知られることが怖かった。

長い間、人が怖かったけど
結局私は、私が怖かったのだ。

自分自身が自分の状態を一番よく
分からなくて、説明も出来ないこと。
またいつ自分が爆発するかも分からなくて
我を失ってしまう自分が怖い。
もしその時に人から嫌われたら、
もうこの世界で私は生きてはいけない。。

そこで、ずっとフリーズしていた。

けれど、その、
私が私だと思っていたのは
本当の私では無く、
「母親の残像」だった衝撃。。。  

つまり、母から言われたことや
されたことがショックだったのだ。

けれど、当時、毎日があまりにも
戦場のような状態だったため、戦場では多少
傷付けられることなんて当たり前のこと。
今日その日、その日を何とか
生き残ることだけで精一杯だった。
だからその出来事によって自分の心が
病んでいたことが、分からなかった。

ここまで深く
自分の心の内に入っていくには、
客観的な視点を得ながらでなければ
到底無理だったな、と思う。

ただ、自分を責めて、
何に呪われているのかも分からないまま
人生終えるところだった。


実際、自分の精神的なおかしなところには
気が付いていたけれど、
どこがどう、というのは今まで
あまり言語化出来なかったように思う。

例えば、ほんの数年前まで
どんな楽しかった日の記憶も
自分が激しく責め立てられた記憶に
歪んでしまうことが多くあった。
自分の記憶から疑って、
整理していかなければいけないのは
本当に大変だった。

家族と戦う夢も頻繁に見ては
気持ちを病んでいた。
そういう夢を見るときは、
よく夜中に私が叫び声をあげ
私よりも先に驚いて起きた彼さんに
起こされていた。

去年一年間は夜眠ろうと目を閉じると、
自分の身体の上を大きな毒虫が這っている
(私が苦手なゲテモノ的なやつ)という、
明らかな幻覚のようなものを見ることに悩んでいた。
それが見えすぎて中々寝付けない。
だけど、口に出すのも恐ろしすぎて
誰にも言えなかった。 

元々「毒虫に襲われる」という悪夢を
15年以上定期的に見ていて、
自分の心の変化と共に年々、その悪夢の
度合いが軽減され、やっと見なくなった!
と思った頃に突然、幻覚のようなものとして
見えるようになってしまった。

けれどそれは今回、心の状態が
露呈した瞬間からどんどん消えていき、
今は見ることもなくなった。

幻覚のようなものの正体は、
私が何か毒のようなものに蝕まれている
という感覚や、
実際に蝕まれた出来事が
心の中に残っていたことで、
見えていたんだと思う。
その感覚を抑圧することが
もう限界点に達していたのかも。


心って不思議で、
受け止められなかった出来事は、
時間が経つごとに心の中でどんどん腐り
歪んで別のものになっしまう。
時には幻覚のようなものまで見せて。

けれど何が起きているのか分からず
出てきてしまったら確実に受け止められず
フリーズしたままの心をかばうため
知らぬ間に頑丈に抑圧していて、

意識的に何とかしようと覚悟があって
向かっていっているつもりでも
専門的に複雑な状態を扱える
潜在意識・心理学の分野から
客観的に学ばないと
安全に解放するのは難しかった。

でも、少なくても自覚してから15年
もしくはそれ以上、
複雑な精神状態の両親に育てられ
まさにその状態をコピーするように生き
長い間、色んな意味で
心の旅を続けてきたけれど、
例え複雑な精神状態になってしまっても
本来の自分を取り戻せるのだという
希望が持てるようになったのでした。




そんな最中で行った今年の初詣。
引いたおみくじは、
なんと、、、


大吉!


しかも、過去に一度も
引いたことがないような内容で、
びっくり!!!!

「一人じゃない」
と書かれたメッセージは、

実は、昨年末に忘年会といって
電話で親友と話した時に
「まだ私は昔のことが苦しいんだ」
と話すと、親友がそう言ってくれたのでした。
だからまた嬉しくて。

おみくじは、お財布に入れて、
お守りとして持ち歩くことに。
一緒に付いていたとんぼ玉は、
ちょうどおみくじを引いた日の
空の色みたい。


心の状態が露呈したことでここ数ヶ月
毎日、激しく死にたい日々がアゲインし。。

そんな私に彼さんは、
「るなちゃんは生きているだけで偉いんだよ」
と何度も言ってくれた。

死にたい時は、その
「シニタイ」を並べて繰り返すと
「タイシ」(彼の名前)がいるよーと^^

シニタイと心の中で繰り返すたびに
実は彼さんの名前を呼んでいたなんて
斜め上からの発見にびっくり仰天。🤣笑
けれどそんな話をしているうちに
また楽しくなって、その言葉も
私の大事なお守りになった。

心と向き合う日々は孤独だなぁと
随分思ってきたけれど
確かに今、一人じゃない日々に
支えられている。


一個クリアになるとまた一個出てきて
今も現在進行形で自分の中にある
“自分のものだと思っていた気持ち”が
実は心の中に残っている
「激しい状態にある親の残像」だった
と気付く日々が続いていて、

今は新しく得た視点をもとに
心の、そして人生の棚おろし中。


(初詣にて⛩)


切り離した過去は、もう
私じゃない。 

今は、10代半ばの頃の自分の苦しみや
問いにやっと答えてあげられるように
なったようで嬉しい。


今年は
本来の私の心を生きる、
私の、幸せな心を生きる。

その一歩を踏み出す一年にしよう🚶‍♀️✨


(⭐︎初めて行った愛宕神社は沢山の神様が
祀られているようで何故か脳内、
神様遊園地・テーマパーク
みたいな光景が広がり🤔💭
あっちにご利益、こっちにご利益の
わくわく楽しいところでした。笑
200段以上ある階段を登るのは大変だったけど
この景色はご褒美感あったなぁ✨)