この世界で肉体を持って生きるということ


先週の日曜日。

今年に入って、おそらく初めて!
近所の公園に日向ぼっこに行ってきました。

彼さんは読書、
私は敷物を引いて、木陰の下で寝転んで。


(今日は公園写真多めです♡)

最近、これまで常に溢れかえっていた感情が
一体何年ぶり?6年ぶり?くらいに
スーッと落ち着いて、穏やか。

まるで嵐の後のような。

ちょっとぼーっとしてしまう感じ。


長い長い自分との戦いが終わったのかもしれない。


と、同時に意識が向いたのが
自分の肉体。


元々、自分自身の肉体に鈍感だった私。

限界を超えてがんばってしまうし、
気付くと大変な状態になっていることが
ほとんどだった。

そんな頑張り屋の私を支えてくれた肉体に、

「愛しているよ」
と意識を向けて、ケアしていこうと思ったら、

突然蘇ってきたのは


“殴られたり、叩かれたりすることに
強くなることこそ、
大人になることだと思っていた”


という、
悲しみの感情と記憶。


これまで長いこと、
肉体感覚に鈍感であることが
悩みの一つだったけど、

実はそれは

「肉体を感じなくなることこそ、大人になること」

“暴力に耐えられるくらい、痛みに身体が強くなることこそ大人になること”

なんだと思ってしまった(!)

子供の頃の気持ちを思い出した今年の3月。

そう、すっかり誤った人生設定を、
この時してしまっていたのです。


この設定で生きてきた結果、
いつしか無意識のうちに様々な痛みを引き起こし
病気ばかりの人生に(T ^ T)


そこから蘇ってくる感情と記憶に、
怒涛の如く向き合い続けた3ヶ月間。

後に残ったのは、
長い間、凍結した感情をそのまま保持し、
人生のありとあらゆる苦難に耐えてきてくれた
冷え切った身体さんでした。

今、私はありとあらゆる方法で
不器用ながらに
肉体に愛を伝えることを続けています。

夏に向かって徐々に気温が上がる中、
体内だけまるでクーラーかのようで
冷え切った身体に毎日驚くばかりだけど!( T_T)\(^-^ )


私にとっては”世界”って

これまでとてつもなく怖い場所でした。


今でも思い出す、
幼稚園に通うようになった頃、 
(※最初に通った幼稚園は病気によるドクターストップでまさかの退園。これは二度目の挑戦↓)

周りのお友達は自由に伸び伸びと
先生の言うことも聞かず自由に遊んでいるのに

その光景を見て立ちすくんでしまったこと。

今、
その時の気持ちをようやく言葉にするなら

“みんながどうして、そんなに自由に遊べるのか分からない”

元々人と感覚が違うから、
そうだったのかとてっきり長年思っていたけれど

実際は、私自身が
そんなに家の中で自由に遊びまわることを
許されていなかったこと。

私にとってはタブーだったのです。

少しでも、声を上げて楽しめば、笑えば、

「うるさい!」「声を出すな」

バンっと殴られる日々。

だから、私にとって遊ぶこと=禁止事項。


唯一、許されたのは、
静かに楽しめる絵本を読むことや、
お絵描きをすること。

もう、そこには私にとって
無限の自由な世界が広がっていて、

絵本を読んで掻き立てられた”想像力”のもと、
絵本の挿絵の間に、
家族仲良くバーベキューを楽しむ絵や、
家族仲良く遊ぶ絵を描き続けたこと。

家にある絵本、全てに描いてしまうから
よく怒られたけど、
それだけは中々やめられなかったこと。

虚しいかな、
家族で笑顔でバーベキューをしたことは
その後もなかったし、

そもそも、みんなで「純粋に楽しいから」
という理由で笑い合ったことなんて、
ほぼないに等しい。


そんな日常こそ”日常“だと
その世界しか知らなかったからか、

初めての私にとっての社会だった幼稚園でも、

ある日、同じクラスのお友達が失くしたキーホルダーを、たまたま教室で拾って、友達の笑顔を想像しながら、てっきり喜んでもらえるかと思って「はい!(にこっ)」と意気揚々と渡すと、

「るなちゃんが盗んだんでしょ?!るなちゃんが盗んだーーー!先生に言いつけてやるー!!」とその子は大騒ぎ。

逆ギレどころかその後も恨まれ続け、それ以降、その子とは二度と口を聞くことが無かったっけ。


家の中でも、
初めて触れた”社会”という場でも
逆ギレ、逆恨み、される日々。

子供の頃はそんな世界が怖くてたまらなくて、
私は声を上げることも出来なかった。
世界はそういうものなのだと思っていた。


私は普段から、
「さぁ!みんな!ホールで遊ぶ時間ですよ!」
と先生が言って、幼稚園でみんなが一斉に喜んでホールに出て行っても、
(そこにはおままごとセットやボールといった、みんなが大好きなおもちゃがあった)

年長さんになってもクラスで唯一、
ホールに出て行けず、誰とも口を聞かず、
1人、机に黙々と向かって絵を描いている女の子でした。

そんな私を心配してか、
優しく声をかけてくれた先生。

「るなちゃんはみんなとホールで遊ばないのかな?」と聞かれても、

うん、とうなづいて、
「絵を描きたい」としか言えなかった。

それが、唯一の”自分の身を守る方法”
だったから。

今日まで、創作活動に夢中になる歴史を
辿ることになった起源には、

そういう悲しい原点がある。


けれど油絵の画家だった祖父や、
芸術系の血を引き継いだ一面もあってか

たまたま才能が出て、
高校生の頃から、作るものは何でも周りの人に
買ってもらえるようになった。

そこで初めて私は、
“自分を中心に、安心安全な幸せな人生を生きている”

っていう実感を得られるようになっていった。

本当に少しずつだったけど、
そこには危険が何一つない

“私の平和な世界”が、少しずつ
広がっていくのを感じていた。



例え、こんな風に
「悲しいこと」が起源だとしても、

いつか人生の喜びに
姿形を変える日が来る。

私はそんなことをこの人生から
教えられたのでした。


そんな日々を送りながら、
人生の一つの転機になった経験がある。

それは、初めて
”意識が変われば世界が変わる”

という体験をした、中学生の時のこと。


当時、美術部と放送局と塾を掛け持ちし
多忙な中学生活を送っていた。

「委員会」扱いになり、内申にも関わってくる
放送局での活動があまりに頻繁&本格的になり
部に顔を出せなくなってしまい。

元々、自由で縛りが無いことを気に入り
入った美術部も、顧問が変わり、

何かと「規則!規則!」と規則を決め、
生徒を取締まるようになったのです。


そこで顧問から、
「委員会と嘘をついて部活をサボっている」
と勘違いされてしまい、

「局の先生に確認したけど、
もっと早く終わってるはずって
言われたわよ」と言われ、

どんなに説明をするも
「どうせ嘘をついているんでしょう?」
と全く、聞く耳を持ってもらえなかった。

そもそも局の先生も、
生徒たちに活動を放任しているところがあり、
実態を把握していなかった。

先生が顔を出す会議の後も、
実は先輩たちは残って活動しており、
後輩はその空気の中で
中々帰ることができなかったのだ。

まさかの、誤解によるトラブルに見舞われ、

同じ局と部活を掛け持ちしていた
仲良しの友人と無い罪を着せられ、

部の雰囲気や仕組みも変わってしまった状況で
続けるのには無理があると気付いた私と友人は、
相変わらず疑いをかける顧問に、

「部活を辞めさせてください」と直談判。

「塾もあり、(誤解を招くし)掛け持ちは困難です」
と思い切って伝えたの。

それも、聞き入れてもらえず。

最初は
「どうして私たちのことを酷く言うの?」

と先生のことを心の中で攻撃し続けていた
私たちだったけど

ある時、もうそんなことを言う日々にうんざりして、

急にはたと、そんな先生には全く似合わない
“ありがとう”という真逆の言葉をかけ続ければ良いんじゃ無いかなと、本当にふと急に、直感が働いたのです。

そうすることで、現実は変わらなくても、
自分の心が軽くなったら良いなと。
そんな気楽な気持ち。

それで友人に、
「もうこんなこと言うのも飽きたし、逆のことやるゲームやってみない?」と声をかけ、

のってくれた友人と、

「(あんな先生には全然似合わないけど)
先生、ありがとう!ありがとう!!!」

とふざけるゲームをやってみたの。

その方が、何か気持ちが良かった。

あくまで妄想に過ぎなかったけど、
その時間だけは嫌がらせをしてくる先生が
私たちにとって
“いい人になってくれた気がした”のです。
 

すると、どうでしょう!

結果的には助け舟が現れて
(当時、学年主任をしていた担任の先生)

私たちが言っていることが本当で
局の先生が事実を誤っていること
まで伝えてくれた上、
部活を辞めることも正式に認められたのです。

「私の勘違いだったみたいで、ごめんなさいね。
あなた達が辞めてしまうなんて、凄く残念よ。」

という、先生からの謝罪までついて!

(しかも、その時本当に初めて、誰からも嫌われていていつも恨み節だった、先生の笑顔を見たの。)

更に驚いたことに、
先生とのトラブルが解決したそれ以降、
私は美術でずっと5を貰い続けました。笑
おまけに作品を推薦され何かの展覧会に
出品までされたり。

「みなさんもるなさんを見習いましょうね!」
と常に厳しい先生から、お手本の作品にまでされ。

(それまで美術だけは常に”5”だったのに、
先生とのトラブルの間は”4”だった。😂)

面白い。面白すぎるぞ。


それから、何年も後になって、
それが初めてこの世界で幸せになるための
“法則”にのっとった行動だったことを知るのだけど。

(ホント当時の自分を褒めてやりたい( T_T)\(^-^ )ただ一、教育機関に通うだけでも大変だったな)


それが、私が初めて、

“心が変われば世界が変わる”ということを
実感した出来事で、

その後も苦手な先生が現れるたび、
お守りのようにしていた”ありがとう”の言葉は、
学校教育の世界という、
逃げ場がない狭い世界で生きる当時の私に、
たびたびギフトをもたらしてくれました。

(学校中で嫌われている先生から
贔屓されて特別待遇を受けたり!笑

私にとっては嫌われている先生って、
あまりにも頑張り屋すぎて、頑固になりすぎて、
周りからズレてしまっただけで、
実は内には”生徒のために”という情熱を
誰よりも持った人が多い、
ということが最終的な気付きでした)



中学の時にそんな体験をし、
その2年後、私は本格的に心の世界、
宇宙の真理の世界の扉をたたくことに。

人生が、もうこの時すでに
そういう方向に流れていたのだと思う。




人生って面白い。

私みたいに、
どんなにはじまりが「痛み」と
「悲しみ」だったとしても

それは未来には、
「喜び」としての姿に変貌を遂げる瞬間が
諦めなければ必ず訪れる。

これは、私の人生に訪れた紛れもない
“ギフト”なのです。


長い長い伏線を経て、
これまである意味、不幸すぎて、

”人間として”
生きられなかった私は、

よくやく今、
私として、安心安全な環境と
人として、幸せな人生を
歩み始めたばかり。



↑これは数日前。

私が用意したランチのスクランブルエッグに、
彼がケチャップでハート♡を書いてくれました❤️

ほっこり(*´︶`*)

こんな小さなしあわせを大切に
抱きしめて生きていこうと思う、
満月の夜なのでした🌝