鬱の心に向き合うとき


私が住む東北は、
先日、梅雨入りした最近。
ここ数日は、梅雨寒が続いています。


最近の私はと言うと
悩みに悩んだ歯の神経治療を
ようやくスタートさせました(T ^ T)

過去に治療を完了させていた
奥歯の虫歯が、まさかまさかの
被せ物の中で再発しており、
神経がダメになってしまっていたのです。

高額の自費診療になるため
凄く悩んでいたのですが、
この度の給付金のお陰で受けられることに。

しかし、
蓋を開けてみるとレントゲンに
写っているより状態が悪かった上、

生まれつき、歯の根っこ🦷
が湾曲していて(本来は大体真っ直ぐ伸びている)

治療出来る範囲が限られてしまうそう(T ^ T)


何回か治療は続くのだけど
今回こそは完治することを願うばかり。


初めて受ける治療に、
痛みもあってとにかく緊張して
文字通りすっかり神経を擦り減らして
精神的にもダウンしてしまいました・・・

そんな風に、身体と向き合う日々が
続いているのですが・・・


「自分に優しい世界に生きよう」と決めて
気になったのは、
やはり、目の前にある自分自身の身体のこと。

最近は、
全身に真冬並みの冷えを感じ、
特に胃腸が冷えて調子が悪いのが続くのも
何か、心の中に原因があるのかも。

と真剣に向き合ってみることに。


「私、幸せになる!健康になる!ってもう決め
た!」と思った瞬間、自分の心の内に気付いてしまった。


“あ、私、鬱だ・・・”って。

ずーんと沈んでいる心はもう、
世界の全てを諦めてしまったよう。

ただただ鬱の心を、最近はずーーーっと感じている。

そして、観察してる。


それに、いいとか悪いとか、
意味をつけないことから
全てがはじまるって分かったから。


ただただ感じていくと、
その心が、子供の頃から持ってきた気持ちだと
いうことに気がつく。


得も言えない、心の痛み。
と悲しみ。

幸せになることを抑圧し、
“禁止した”こと。


子供の頃、私の暮らす家の中は、

いつも影を落とし、
ひんやりした空気が流れていた。

何かにつけて、全てが
「否定すること」からはじまる世界。

いつしか、
自分の何がいけないのか、
何をしてしまうとダメなのか
分からなくなり、

無意識のうちに、一瞬一瞬
ここにいるだけで「罪悪感」を感じるようになったこと。

何をしてもいつも怒られている感覚。

ニコリと笑うことも許されない。

一度そこに存在していることを知られたら
睨まれ、潰されてしまう感覚。

息を殺すようにして存在を消し、
自分の部屋で息を潜めた日々。


あぁ、私が幸せだと恨まれるんだ・・

幸せじゃない方が、
恨まれなくていいんだ。


いつしか、幸せになることを
自ら放棄し、諦め、抑圧してしまったこと。


人って、幸せに向かうことでしか
生きることって、
本当の意味では出来ないんだと思う。


“幸せを感じること”を、
いつしか無意識のうちに
抑圧するようになった私は、

いつの間にか何も感じなくなって
鬱になってたこと。
 
(その後数年間、精神安定剤を服用しながら病院にも通ったし、家庭環境に耐えきれず休めないからと、自ら志願して入院したこともあった)

その後も、家庭内で混乱が続き、
いつのまにか鬱の心すら抑圧するようになり、

常に無理をして無理やり身体を動かし、

目の前の生活を頑張らないと!頑張らないと!

と頑張り、突然難病を発症し。


“もう、お願いだから頑張らないで。

私の心を見て。”


って、
ずっと私の身体は教えてくれていたんだと思う。

 


ようやく、見てあげられるようになったね。



私の病気の人生は、
17の頃発症した”鬱“から始まった。

経験したことがない、
身体と心が底なしの沼に沈んでいくような感覚
歩くことができない。
無理して動くと過呼吸発作が起きてしまう

そういう状態から、
ごまかしごまかしやってきた。

なんとなく、
治ったのだと思ってた。

けれど、その状態の渦中から
家庭内の混乱や、難病の発症、
夜逃げも同然でつてを頼り
北海道から東北に出てくることになったこと
新しい環境に順応しなくては・・

と、目まぐるしく変わる環境に
とにかく頑張らなくては!!!と
そればかりで

実際は、
身体も心も置き去りし、

本当の意味で、病気の根本となった
心の状態そのものを、
観察できる静かな時間と環境を
得たことはこれまで一度も無かったこと。

(実は今、治療している奥歯の虫歯も
鬱の治療で安定剤を飲んでいた時代
につくってしまったもので、
中々完治させられないまま、
今回の治療に挑むことになった経緯が。。

ある意味私にとっては、
治りきらない病気と、鬱の象徴のようでもある。泣)



だから、

幸せになると、
健康になると、

何より、
私は私にとって優しい世界に生きると

決めたから、

これからなんだと思う。


私の心はどこに行き着くのだろう。

本来の純真無垢な喜び溢れる私に
戻ったとき、

始まる人生はもう、自分にとっては
未知の世界だと思う。


知らない世界はそれが
例え幸せな世界だったとしても
少し怖い。

だけど、私の魂はそこに向かうことを
諦めずにはいられないんだと思う。




北海道にいた頃は経験したことがなかった
梅雨の長い時間に渡って雨が降り続ける
静かな時間がとても好き。

鬱の心にも、静かに寄り添ってくれるよう。



「私、今、鬱なの。
でも、こんなに落ち着いて、鬱の自分の心を見ることが出来る余裕がある時間って今、初めてかもしれない。」

と彼に言うと、
もう6年ほど私を見てきた彼が、

「確かにそうだね。初めて見たかも。
安心して、鬱のままいてごらんよ。
俺がついているからさ^^」と。


そんな優しい世界を得て、

私は今、初めて、


鬱の自分の心に、
寄り添い尽くして生きようと決めた。


実際、沈んだまま過ごし続けるのは
私にとって本当に本当に勇気がいることだった。

つい、落ち込む心から逃げようと
また蓋をしてしまうの。

何か目先の、楽しそうなことに走ったり
つい、やることをあえて作ったりしてね。



でもね、

鬱の心に寄り添い続けることから
はじまる、
新しい世界があるのだと思う。


きっとそれは、
本来の自分自身の”心の世界”なんじゃないかな。